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ヴァーラナシ

ダシャシュワメードガート

信仰と生活が同居する町

 画像から受ける印象では夕焼けのようにも見えますが、深い夜が明け始め朝日が昇る頃には聖地ヴァーラナシのガンジス河での沐浴にインド各地から多くの巡礼者が訪れ、川面に流れる鐘の音が早朝から鳴り渡り生と死の現実を見せ付けてくれます。

 
ある人はインドに行くと人生観が変わると表現されます。マルカルニカガートで火葬に付される状況を見ますと、死体は亡骸(なきがら)であることの理解が深まり、自分の終わり方を考え、教えられるところでもあります。

 1000年以上?火床を消さず、もらい火で順次火葬をしていくやり方を続けているようで、亡骸が多い日には火床を増やし、少ない日には状況を見ながら加減していくと聞きました。隣に「死を待つ人の家」がありますのである程度の予測が立てられるようです。

 この「死を待つ人の家」では治療は行わず肉親が付き添い最後を看取るようです。聖地ヴァーラナシのガンジス河で火葬に付してもらうため薪代の100ルピーを握り締め、たどり着いてくる人々も多く、薪代が無い人には寄進者がドネーションするそうです。

 ガンジスで火葬に付されることで輪廻を絶ち切り天国へ行けることを信じているとも聞いたことがあります。日本では火葬に付されるときには見えないことが普通ですが、ヒンドゥー教の人々は長男が火をつけます。その前に亡骸にギーというオイルを全身に塗りつけ、その後、白檀の粉を塗りこみ、薪の上に安置します。

 私が見たときは未だ幼い6~7歳の男の子が父親の体にギーと白檀を塗り込め、火を付けていました。火葬場には女性は入れませんから母親は家で待っているだけです。親族の男の人達も火床での儀式には参列できず、離れたところで見守るしか無いようです。

 私などとは死生観の持ち方、形成され方に大きな違いが生まれていることに気付かされ、愕然としました。このような話は多くの方が眉をひそめられ、触れたくないようです。必ずや訪れる人の死と向きあうことは厄介さもありますが、ある時期が到来したら向きあってみることも大事ではないかと思っています。