渋みのおいしさが失われる
日本人は世界でも類まれに見る繊細な感性や感覚、味覚を持つ民族といわれてきましたが、これも昨今少なからず怪しくなりつつあるようです。工業製品にも繊細な様式美を生かした独特の美意識がうかがえ、使う人のあらゆる状況を想定した品質は世界が認めるところとなり、現在の繁栄と自信を築きました。
それがバブル崩壊後自信も崩壊し、過信であったと打ちのめされたまま、彷徨っているようです。日本全体が心理不況に入りもがいていますが、それでも経済大国には変りありません。
繊細な美意識は世界に誇れる日本人の長所です。 お茶を茶道と言う人間形成の「道」として、求道的な心のあり方、持ち方を追求していく様は世界でも例を見ません。
他方、イギリスの紅茶は王室ご用達の金看板がフォーカスされ、繊細な味の追求よりも陶磁器や銀食器の発達を生み、繊細な味覚よりも日常的な飲料として今も根付いています。
昨今渋みのおいしさを理解できない日本人が増えてきていますが、実に嘆かわしく、これは由々しき事態に発展し、ついに日本人も繊細な舌を失い「腐った舌」と化すのかと生理学上、多大なる危惧を禁じえません。(少しばかりおおげさかな)
人間が感じる六味(甘、辛、塩、酸、苦、渋)この中のひとつの渋みを感知する感応が怪しくなってくると、第六感のひらめきも薄れるのではと心配しています。
このデリケートな渋みこそが日本人の繊細な美意識を育んで来たのではないのか‼ (そうだ、そうだ) 紅茶を扱う者としてはここでひとつ声を大にして喚いておきたいところである。
六味に支障を来たすという事は少なからず脳細胞にも影響を与え、引いては感動する心も失われ、壊れた人に近づいて行きそうです。さ、ここらで一休み、ティータイムでやさしい気持ちになって、デリケートな渋みを感知し、デリカシーを呼び覚ましましょう。見過ごしていたこと、風の音、花の香り、葉擦れのささやき、川のせせらぎ、空気の流れも新鮮に感じたりしてきます。
人は優しい気持ちを持てる、持つ時間が多い人ほど、心に豊かさを多く蓄積できる傾向にあると言います。モノの豊かさ、便利さに人の心が付いて行けなくなると無関心、無感動、無気力な兆候が表れ、やがて人が壊れ、機能性優先、機能性重視社会と言う殺伐とした気持ちの悪い、人間性無視社会へと進んでいきます。どこかで線引きする、覚悟を持つ、そんなところから始めてみるのもひとつの選択肢かも分かりません。
ま、取り敢えずこれをお読みいただいた後は、直ちに何はさておき、全てをほっぽらかし、お湯を沸かして紅茶を点て、(ナヌー、紅茶が無い、それはイカン、イカン)、紅茶のおいしさである渋みの感知、感応を確かめ「腐った舌」になっていないかどうかの確認作業を進める事が本日の喫緊の課題である。
真面目に実行するイージーライダーの人は「あ~ワタシ、デリケートな味覚感知能力が衰えていないわ」と安心感に浸り、楽しい豊かなやさしい気持ちの一日となるのである。 時にはイージーゴーイングな進め方も良いものである、ウン、ウン。